机上の空論

色んなゲームを数字だけで考えたりするブログ

人が生きる理由について

突然ですが、人が生きることに理由なんてないっていう話をします。

これと似たような話を聞いたことがないので、みなさんが内心で当たり前だと思っているのか、それとも思いついてないのかはわかりませんが、僕としては納得感があって面白い話だと思ってます。

もちろん、人の生きる理由なんて勝手に見つければいいと思うので、幸せになるために生きてるんだ!っていうのはそれはそれで良いと思います。

ただ僕はこんな話を思いついちゃったって感じです。

 

それでは本題。

かつて地球上に生き物はいなかったそうです。

そこに雷がいい感じに落ちていい感じにRNAができたそうです。

RNAは自己複製をする機能、というよりは性質を持っていて、どんどん自己複製をしたり進化したりするうちに今みたいな生き物ができていったらしいです。

ここで、自己複製をする機能を持っているものが、自己複製をする機能を持っていないものと比べて繁栄するのはとうぜんですよね。

そして、子孫の繁栄だの何だのって言うのは、自己複製という性質を持っているものがに結果的に起こるものです。

他の種族やら人種やらよりも優れている(っていう言い方も若干恣意的な感じがあって良くないかもしれません)ものが繁栄するというのも、結果的に起こることです。

生物自身に子孫の繁栄なんていう義務はなくて、自己複製という機能を持っているものが結果として繁栄するっていうだけです。

なので、LGBTだのなんだのの人に、生物としての本質からずれているっていうのは、ちょっとおかしいというか、押し付けなんじゃないのって言う感じがします。

 

その性質から生じるものを押し付けるのってなんか変な気がしませんかね。

あんまいい例えが思いつかないんですけど、女性に対して「女性とは胸が大きくなる性質を持っているのだから、全女性は巨乳にならなくてはならない」みたいな?

男性に対して「男性は筋肉質になるような性質を持っているのだから、全男性は筋肉もりもりのマッチョマンにならなければならない」みたいな?

そんなん人の勝手じゃんで終わり。

 

そーいうわけで、僕が言いたいのは、人が生きてることに、外の世界から意味は与えてくれないってことです。

RNAに生きる理由はないよね。

自分で勝手に「幸せになるために生きる!」っていうのは勝手ですけどね。

 

ちょっと話は変わるんだけど、人の意識なんてものは、機械と何ら変わらないんじゃないのっていうのも思ってます。

ここで言う機械っていうのは、パソコンみたいな複雑な電子機器ってイメージじゃなくて、もっと素朴な風車とか自転車とかとかそういうレベルのもののイメージです。

我々は、そういう機械を見た時、こういう仕組みに作ってるんだからこういう機能を持つのは当然だと思うわけです。

でも、その仕組みをしらない、あるいは理解できない人とか赤ちゃんからみると、とても複雑で理解の及ばない知性のようなものを感じるかもしれません。

風が吹いたときに回り、風が吹かないときには回らないというだけのものでさえも。

我々の意識というのもそういうものなんじゃないですかね。

他人を見たときに、複雑な思考やら意思決定やらをしているように見えても、本質は風車と同じ感じかもしれません。

「いや、私は今世界を認識していて、思考をしている!我考えるゆえに我あり!」っていう人もいるかも知れませんが、風車とか自転車もそう考えてるかもしれませんよね?

なんで人間やら猿やら犬やらには意識があって、風車や自転車には意識がないって言えるんですか?

風車や自転車は知性を感じられるような行動やらふるまいやらが見られないじゃないかっていうのは当然通りません。

それだったら脳死状態の人間はさっさとジャンクとして解体してパーツ取ったほうがいいです。

 

結局意識なんてそうだと思ってる・感じているっていうだけで、実在を実証できません。

なんか言いたいことからずれてる気もしますが、私は意識は、機構が理解できてないっていうだけの機械に過ぎないって考えてます。

 

 

なんかこういう哲学っぽいことを考えるの好きなんですよね。

僕はそういうの考えても、何にもメモらなくて忘れるのを無限に繰り返してます。

でもこういうのも、人類でちゃんと積み上げてったらもっと面白い考えにたどり着ける気がするんで、そのためにもたまには文字に起こそうかなと思います。

 

一応の補足ですが、別に生きる理由が外から与えられなくて、意識が機械と変わらんっていうのは、だから人間死んでもいいとはならないと思うんで、そこだけ補足しておきます。

物理的に意味がなくても、僕は死にたくないし、楽しく幸せに過ごしたいとは思っているので。

それでは。